「諏訪根自子」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(ページの作成:「諏訪根自子(1936年撮影) '''諏訪 根自子'''(すわ ねじこ、1920年大正9年)1月23日 - [[2012...」)
 
 
(同じ利用者による、間の2版が非表示)
16行目: 16行目:
  
 
== ゲッベルスから贈られたヴァイオリン ==
 
== ゲッベルスから贈られたヴァイオリン ==
 +
[[Image:諏訪根自子12.jpg|350px|thumb|[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]から贈られる諏訪 根自子]]
 
1943年2月22日にゲッベルスから諏訪に贈られたヴァイオリンはストラディヴァリウスと伝えられているが、その真贋を含め、以前の所有者は誰だったかなど、詳しいことは判明していない。宣伝相ゲッベルスは[[帝国音楽院]]で音楽分野の施策を統轄する中、最高級の楽器を収集し、それをドイツ人の音楽家に貸し与えた。
 
1943年2月22日にゲッベルスから諏訪に贈られたヴァイオリンはストラディヴァリウスと伝えられているが、その真贋を含め、以前の所有者は誰だったかなど、詳しいことは判明していない。宣伝相ゲッベルスは[[帝国音楽院]]で音楽分野の施策を統轄する中、最高級の楽器を収集し、それをドイツ人の音楽家に貸し与えた。
  
25行目: 26行目:
  
 
== CD ==
 
== CD ==
 +
[[Image:諏訪根自子2.jpg|350px|thumb|諏訪 根自子]]
 
* 『バッハ』 キングレコード [[1994年]]
 
* 『バッハ』 キングレコード [[1994年]]
 
* 『ベートーヴェン』 キングレコード 1994年
 
* 『ベートーヴェン』 キングレコード 1994年
48行目: 50行目:
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
 
* [[深田祐介]]『美貌なれ昭和』[[文藝春秋]]、1983(文春文庫)
 
* [[深田祐介]]『美貌なれ昭和』[[文藝春秋]]、1983(文春文庫)
 +
 +
== 諏訪 根自子の画像 ==
 +
[[Image:諏訪根自子3.jpg|350px]][[Image:諏訪根自子4.jpg|350px]][[Image:諏訪根自子5.jpg|350px]][[Image:諏訪根自子6.jpg|350px]][[Image:諏訪根自子7.jpg|350px]][[Image:諏訪根自子8.jpg|350px]][[Image:諏訪根自子9.jpg|350px]][[Image:諏訪根自子10.jpg|350px]][[Image:諏訪根自子11.jpg|350px]]
  
 
{{DEFAULTSORT:すわ ねしこ}}
 
{{DEFAULTSORT:すわ ねしこ}}

2012年9月30日 (日) 18:56時点における最新版

諏訪根自子(1936年撮影)

諏訪 根自子(すわ ねじこ、1920年大正9年)1月23日 - 2012年3月6日)は、日本女性ヴァイオリニスト。本名:大賀 根自子。東京府出身。

来歴[編集]

父親の諏訪順次郎庄内地方の大きな肥料会社を経営する資産家・諏訪八右衛門の子供。母親の滝は酒田高等女学校時代に声楽家を志望するほど音楽に傾倒するが、両親の取り決めで順次郎に嫁ぐ。その直後、肥料会社が倒産し、夫婦は東京へ出て、そこで根自子が生まれる。

順次郎は、有島武郎有島生馬など白樺派作家芸術家と親しく、クラシック音楽レコードを購入してきた。これを聴いた幼い根自子が正確な音程でこれを歌うのを聴き、滝は1923年、満3歳の根自子を小野アンナの弟子、中島田鶴子に入門させ、一年後、その才能を認めたアンナに直接師事しヴァイオリンを習う。またやはり白系ロシア人アレクサンドル・モギレフスキーにも習い、1927年生馬の紹介で一条公爵家園遊会で演奏会を行い、1929年小野アンナ門下生の発表会で演奏して次第に注目を集め、1930年秋、来日したエフレム・ジンバリストに紹介されてメンデルスゾーンの協奏曲を演奏して驚嘆させ、1931年朝日新聞に「天才少女」として紹介される。

1932年リサイタルを開き「神童」と呼ばれる。だが1933年、滝が根自子を連れて家出する事件が起こり、新聞は順次郎が根自子に暴力を揮うと書きたてたが、実際は順次郎の浮気による夫婦不和が原因であった。1934年から、生馬の弟の里見弴はこの事件をモデルに長編「荊棘の冠」を発表。別居には鈴木鎮一所三男山科敏が相談相手として手を貸していた。

ベルギーの駐日大使バッソンピエールが彼女に注目し国王らも歓迎したため、外務省が後援して1936年ベルギーに留学、1938年パリに移って、原智恵子の紹介でカメンスキーに師事するが、翌年第二次世界大戦が勃発。しかし帰国せず、ドイツ軍によるパリ占領後もとどまって、1942年田中路子を頼ってドイツに移り、クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルと共演、ゲッベルスからストラディヴァリウスと伝えられるヴァイオリンを贈られる。以後ベルリンとパリを往復するが、パリ滞在中、ノルマンディー上陸作戦があり、パリを脱出してベルリンへ向かい、スイスで演奏会を開いたりするが、ベルリンが陥落してアメリカ軍に拘束され、米国を経て帰国する。

戦後は日本で井口基成安川加寿子らとコンサートを開くが、60年以後、演奏の第一線から引退する。その後の消息はほとんど聞かれず、伝説中の人物となっていた。病身の夫の介護などで忙殺されていたとされるが、1978年1980年録音のバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」がキングレコードより発売された。1990年代になって、ごく少ない機会ながら私的なサロン・コンサートで演奏する様になり、1994年録音の幾つかがCD化されて、変らず気品と迫力のある演奏が話題になった。

2012年9月24日、同年3月6日に脳梗塞後遺症のため死去していたことがわかった。

ゲッベルスから贈られたヴァイオリン[編集]

ヨーゼフ・ゲッベルスから贈られる諏訪 根自子

1943年2月22日にゲッベルスから諏訪に贈られたヴァイオリンはストラディヴァリウスと伝えられているが、その真贋を含め、以前の所有者は誰だったかなど、詳しいことは判明していない。宣伝相ゲッベルスは帝国音楽院で音楽分野の施策を統轄する中、最高級の楽器を収集し、それをドイツ人の音楽家に貸し与えた。

ゲッベルスは日記に「ヴァイオリンの名器を購入した」などと記しているが、収集された楽器の中にはユダヤ人などの被迫害者、あるいは被支配地域の市民から略奪した楽器も含まれていたと推定される。コペンハーゲン大学の日本研究者マーガレット・メール(Margaret Mehl)がベルリンの連邦公文書館で調査したところ、「ナチスが楽器を盗んだ証拠も、著名な仲買人から楽器をまったく合法的に購入した証拠も、両方存在する」という。

また一方、アルフレート・ローゼンベルクを長とする全国指導者ローゼンベルク特捜隊(ERR)が被占領地域から文化財産を略奪するために組織された特殊部隊であり、ERRの中に楽譜や音楽書、楽器など音楽関係の財産を略奪する専門部隊(Sonderstab Musik)が存在したことが知られている。

諏訪自身は生前のインタビューで「盗品ではなく、ゲッベルスの部署がシレジアの仲介業者から購入した」と説明していた。ゲッベルスから贈られたヴァイオリンの詳細は今のところ不明であり、現在の所有者である諏訪の甥は、カリフォルニア大学バークレー校の講師で法律家であるカーラ・シャプロウ(Carla Shapreau)の鑑定の求めに応じていない。

CD[編集]

諏訪 根自子
  • 『バッハ』 キングレコード 1994年
  • 『ベートーヴェン』 キングレコード 1994年
  • 『管弦楽組曲第3番「アリア」 他』 キングレコード 1997年
  • 『日本の洋楽1923-1944』 ロームミュージックファンデーション 2002年
  • 『荒城の月のすべて』 キングレコード 2003年
  • 『TV-CMベスト. クラシック篇』 キングレコード 2005年
  • 『「SP音源による」伝説の名演奏家たち. 日本人アーティスト編』 コロムビアミュージックエンタテインメント 2009年

諏訪根自子を描いた作品[編集]

出版物

  • 『世界音楽全集. 第20巻』 1962年 筑摩書房
  • 『美貌なれ昭和 - 諏訪根自子と神風号の男たち』 深田祐介(著) 1983年 文芸春秋

テレビドラマ

  • 『美貌なれ昭和〜東京ロンドン間1万5千キロに挑んだ「神風」号の男たちの壮大なロマン・天才バイオリニスト諏訪根自子の華麗な旋律』 1985年 テレビ朝日 - 諏訪根自子 役:小室満里子

家族親族[編集]

参考文献[編集]

諏訪 根自子の画像[編集]

諏訪根自子3.jpg諏訪根自子4.jpg諏訪根自子5.jpg諏訪根自子6.jpg諏訪根自子7.jpg諏訪根自子8.jpg諏訪根自子9.jpg諏訪根自子10.jpg諏訪根自子11.jpg